みらい21かなる - 社会福祉士 山眞弓

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第4回成年後見法世界会議、「横浜宣言」を改訂・修正する

http://jaga.gr.jp/wp-content/uploads/yokohama_20170106.pdf (2016 改訂横浜宣言)
http://jaga.gr.jp/wp-content/uploads/7879319402f97d8235d199cdd73868ed.pdf (旧宣言)
2010年の横浜宣言を2016/09/16に改訂、新宣言も「世界の課題」「日本の課題」を採択

 

当ブログは、2015.09.22に成年見制度の問題点を投稿していますが、第1回成年後見世界大会(2010年10月4日)が横浜で開催されて「旧宣言」が採択された5カ月後に福島原発事故が起こり、その後の混乱の中で政府からの後見制度改悪が提案された。その中の後見支援信託等への疑問、その関連を書いています。

 

(1)2016年成年後見法第4回世界大会の「改定横浜宣言」  
福島原発事故から6年目の今、介護保険と新後見制度が成った21世紀の幕開けの日本と世界を振り返ると、20世紀の末頃にナポレオン法典(1804年)にさかのぼる世界中の禁治産制度は、改革に着手、新制度、新成年後見法へと向かった。我が国でも2000年4月介護保険の導入に合わせて新成年後見制度が施行されている。

 

それ以前の成年者後見制度(禁治産制度)は、当事者の権利能力を包括的に全部に奪った上で、その妻や親族が法律行為を代理して財産を管理し、当事者の財産、家産の散逸を防ぎ、またその事により契約の相手方の利益、取引社会の安定を図るものであった。

 

しかし革命から200年の時が流れ、まず精神医療の発達は精神障碍者の終生に及ぶ監置を解き放ち、さらにノーマライゼーション思想の浸透した社会では、意思能力が十分であっても、不十分であっても、すべての市民は市民として同じように、できるだけ市民的取引社会と関係しつつ、その中で生きることが望まれた。その実現のために、社会の側がそれを保障しようとする時代を迎えた訳である。

 

その方向で世界中の成年後見法の改革は進められ、我が国では2000年4月に成年後見法実施、その10年後2010年に横浜で開催された成年後見法世界大会での「旧宣言」の採択であった。これが6年後、2016 年9月 16 日エルックナー/ベルリン(ドイツ)の第4回成年後見法世界会議において改訂・修正 されている。

 

その宣言の中の、成年後見法の「世界の課題」そして「日本の課題」を読み解きたい。

 

(2) 「改訂横浜宣言」における成年後見法の世界の課題
事理弁識能力に問題のある市民の市民生活を支える成年後見制度、その改革を主導した学識経験者の世界大会は、その2010年の第1回大会での「旧宣言」を、今2016年9月16日の第4回大会において修正・改訂している。「改訂横浜宣言」は障害者の権利基本条約との整合性を採りつつ、世界と日本の成年後見制度の課題を採択した。

 

 「改訂横浜宣言」の機〜以検 2016の「改訂横浜宣言」では前文を新設しており、その中で「能力剥奪を撤廃して、自立とケアを志向する成年者の法的支援と保護のみが専ら備えられているシステムに転換する必要性を強調する事とした。」との文言をいれている。また「本宣言が世界における成年者の法的支援と保護のためのシステムの一層の発展に寄与し、本宣言が継続して検証されることを切望する次第である。」と結んでいる。

 

 次に兇寮こΔ硫歛蠅1(共通する認識):旧宣言では世界的な高齢人口の増加に焦点づけて6項目を挙げ、5点目では「成年後見制度は高齢者を主たる対象者としているとしている」との文言をいれていたが、「改訂横浜宣言」はこの5点目を削除した上で4点を掲げている。

 

その(1)から(3)において支援または保護を必要とする成人者の世界的な増大、また虐待の実態が明らにかになりつつあるとしつつ、成年後見制度の利用者を高齢者を主たる人々とはせずに、「支援または保護を必要とする成人者」と変更している。その上で4点目に「法的能力を行使するための法整備は等閑視されたり、立ち遅れたりしており」として、さらに該当する「法的能力を行使するための法整備(支援と必須の保護)」について、最新の考え方が考慮されるに至っていないとしている。

 

 ここでは、成年後見制度の対象者を高齢者を主たるとするのではなく、「法的能力の行使について支援または保護を必要とする成年者」全体の地域生活を見渡したうえで、その人々全体の生活を支える支援を問題にしていると思われる。
そこで「医療、年金、保険給付、住宅、移動手段、社会保険と言った社会的資源」との文言をもって、社会保障制度内における障害者の生活権に係る諸制度に具体的に言及した上で、民事的な法的支援制度である成年後見制度との併用を視野に入れつつ、成年後見制度による支援の必要性とその特殊性を踏まえていると理解される。そこで成年後見法にとって、他法であるところの障害者支援の制度に、言及せざるを得ないのであろう。

 

 兇寮こΔ硫歛蠅裡押幣鯡鵑侶章への賛意): 旧宣言では2006 年 12月 13日の「障害者の権利に関する条約」、2000 年1月 13 日ハーグ国際私法会議「成年者の国際的保護に関する条約」と言う二つ条約の理念の確認であったが、「改訂横浜宣言」では 3点めに「1950 年「人権と基本的自由の保護のための欧州条約」、1981 年「人および人民の権利に関するアフリカ憲章」、1982 年「権利および自由に関するカナダ憲章」を挙げて、「適用領域において重要な地域的、国家的な人権規約である。」と加えており、地域的、国家的な人権規約を視野に入れていると思われる。

 国境を越えて人々が移動する時代における、障害者の人権の保護と言う視点が重視されていると理解される。

 

 兇寮こΔ硫歛蠅裡魁粉靄楔饗А法2010年の「旧宣言」が、成年後見制度の基本原則として確認したのは5点、能力推定の原理、あらゆる支援と保護の実施、能力の相対性(個人の生活維持に必要な能力水準は個別的で相対性がある事)必要性の原則、定期的な見直しを受ける権利であった。これに対して「改訂横浜宣言」では、さらに3点を付け加えて8点としている。追加された点は、1つには当事者意思の優先、二つには第三者保護の否定、そして「いかなる形態の能力剥奪制度も撤廃する」の3点である。


 そして旧宣言では「支援」と言う文言は2点目に一度使用されたのみであったところ、「改訂横浜宣言」では前書きを新設して、「成年者の法的支援と保護に関する基本原則をここに宣言する。」とした上で、「支援」と言う文言が1、2、5、6点目にも使用される中核的な文言となっている事が注目される。

 

 2010年以降の6年間、世界の後見制度を活用しての障害者の支援と保護の実践からの要請であろうと思われるのだが、「障害者の権利条約」をふまえ、法的能力に問題を生じる意志能力に障害のある人々における社会生活を前提にして、その社会的多面的な生活活動、相互作用的重層的な社会関係を支え、「支援する」と言った志向性、それが読み取れると思われる。

 

(成年後見制度による障碍者の保護が最善であるためには、包括的に、全部の能力剥奪が行われる我が国の成年後見制度の後見類型を含む三類型の構成について、その再考が必要であろう。現制度構成において現制度の中で利用の拡大こそが障碍者保護であるとする、成年後見制度を巡る日本政府の動向について、慎重な検討がなされるべきではなかろうか。)

 

 兇裡粥僻鏝絽人の行動規範):旧・改訂横浜宣言は共に16点を掲げている。「旧宣言」が、制度利用者に○○させるなどの表現もあったところ、「改訂横浜宣言」においては、助力、支援と言う表現も見られるように、法律行為の主体としての障害者という言う観点を強める表現へと転換されている傾向を捉える事ができよう。


一つには支援において「社会保障等の制度」の利用に言及している事、二つには「相互依存的な生活」と言う表現で、障害ある個人の社会生活、その形成する社会関係を視野に入れている事、三つには「公正かつ誠実であるべき」と言った一般社会の通念、常識を念頭にした上での規範性が求められている、この三点が変化であろうと思われる。

 

 民法的秩序と言う成文法上の整合性だけでなく、民法自体が「民法の商化」の中にあるのであろうから、障害者の生活を囲んでいる社会の通念、常識等の規範的内容、法を取り巻く社会のあり様をも考慮にいれた上での、妥当性判断を求めていると理解され、柔軟かつ利用者中心的な態度を提示しているのではないだろうか。

 

また障害者の支援に当たっては「最も自然な行為を選択」することによって、当事者の生活への介入を抑制すべきとしており、障碍者を社会の一員として、社会の中の生活主体者として捉える視点が伺われ、この傾向が6年を経過した障碍者(被後見人)への支援からの「学び」として理解されると思われる。障害ある成年個人(当事者)に対して社会包摂的なスタイルでの支援と保護への志向性が伺われると思われる。


Ν兇5(結論):上記傾向は「改訂横浜宣言」の世界の課題の結論においても、支援者の代理権行使よりは、本人自身の意志に重点を移した支援制度に言及している事からも、伺う事ができる。

 

障害者の行為能力を剥奪した上で行う民事的保護制度である成年後見制度の位置について、障害者生活問題構造全体の中での、問題解決のための手段、支援策として、多面的な諸法制度を踏まえて、相互関連性ある諸制度との併用、協働を念頭に、成年後見制度の位置を問題にする視点である。


そこで最終的な手段である能力剥奪を伴う民事的な代理制度である成年後見制度を、どの範囲で利用するのかと言った、限定的に使う事が想定されていると理解され、他制度との伴走を含めての成年後見制度の利用、その生活に及ぼす効果についてトータルに眺めて、限定していくという方向性へと、「横浜宣言」は改訂されている。

 

(3)「改訂横浜宣言」における成年後見法の日本の課題:
上記改定の主旨に全面的な賛意を表明した上で、第4回成年後見法世界大会は、日本政府に早期に現行法を改正する事を要請している。各国向けが作成、採択されているのか、日本に向けて特に採択されたのか確認ができないのだが、世界大会でこのような採択が2010年、2016年の2度にわたり採択されている事の意味は大きいと思われる。

 

 日本の課題の1.「基本原則:「改訂横浜宣言」は、新たに基本原則の項をもうけて次の2点を宣言している。「(1) かつての禁治産宣告のような意思決定のあらゆる分野において能力を剥奪する制度は廃止されるべきである。(2) 成年者の法的支援と保護に必要な範囲における最も制約の少ない制度としてのみ能力制限は許容されるべきである。」と。

 

(1)については、日本の現成年後見制度の三類型構成、その利用者の85%が利用している後見類型があらゆる分野の法的能力の剥奪を前提にする制度である事をふまえて、このように明文的に廃止を求めている。また(2)では支援の必要性の原則を掲げて、法的支援と表裏一体的である能力制限は、その最も制約の少ない場合に限定して許容されるべきとして、成年後見制度の能力制限について慎重であるべきことを基本原則として掲げており、この点を改めて宣言している。

 

 日本の課題の2.「障碍者権利条約の理念の評価」:「旧宣言」には無かった条約との整合性の問題を述べて、ここで5項をあげている。それぞれは1.支援付き保護の重要性の尊重、2.障害別の支援の要請、3.後見人の権利濫用防止、4.当事者の安全のための措置 そして最後に5.「障害者権利条約の下においても最も制約の少ない制度としての法廷代理制度は許容される」である。

 

この項目の創設により、事理弁識能力に問題がある成人、民法的表現で括られた成年後制度の支援を受ける人々、事理弁識能力に問題のある個人は、「障害者権利条約」と言う観点から、生活者であり、ノーマライゼーションの地域、市井に暮らす人々であり、その生活の中に生起する生活上の障害、生活問題を、社会的支援によって対応する人々として捉えられており、その上でその人々の法的権利は国境を越えても遂行されるべく、成年後見人の支援を受けて、権利義務関係を構成する個人として想定されている。

 

人々が国境を越えて移動する時代における、障害者保護の普遍的な視点、「人権の普遍性、不可分性、相互依存性、相互関連性を改めて確認し」と言う文言をもって示されているように、その個人における社会生活、多重層的な社会関係性の重視、その中での法的支援としての、成年後見制度が提起されている。

 

 日本の課題の3.「現行法の改正とその運用と改善」:「旧・改訂横浜宣言」の双方に設定されているこの項目は、旧宣言6項に対して、改訂横浜宣言では、1項付け加えられた7項目になっている。追加された1項において最初に、我が国の成年後見制度の3類型構成とその包括的、全体的な能力剥奪への危惧が述べられており、「(1) 現行成年後見法は後見、保佐が、補助という3類型を前提としているが、とりわけ後見類型においては本人の能力制限が顕著である。障害者権利条約第12条の趣旨に鑑みて、現行の3類型の妥当性を検証する必要がある。同時に、成年者の法的支援と保護手続における本人の保護に関する検証も必要である。」としている。

 2項以降は、新旧の「横浜宣言」共通に掲げられた内容だが、1.市町村長の申し立て体制 2.費用負担の公的な費用補助 3.鑑定・本人面接の実施 4.医療同意をいれるべき 5.欠格事由の撤廃 6.任意後見制度の利用促進と濫用防止策の6項目であり、世界の成年後見の議論から見て妥当な内容であろうと思われる。

 

 あらためて我が国の三類型構成の成年後見制度において、包括的に、全部権利能力を剥奪する後見類型が85%も審判され利用されている現状への危惧が採択されている。あえて第一項を新設して三類型構成の妥当性の検証を必要としており、「改訂横浜宣言」における改訂・修正の方向性である人権擁護、支援をベースに置く保護を求めている。日本政府の対応関係が注目される。

 

 日本の課題の4.「.公的支援システムの創設」:この部分の旧・改訂横浜宣言における変更は少ないが、注目されるのは「成年後見の社会化」の文言が「成年者の法的支援と保護の社会化」と変更されている事であろう。成年後見制度と言う民法範疇の制度と言う位置づけから、障碍者権利条約に鑑みて、障害者の支援制度、保護制度との関連性を採りながら、障害者の支援制度全体の中での成年後見制度の位置付けが問題にされていると思われる。

 

そして、「旧横浜宣言」に設けられていた、日本の課題の中の4.新たな成年後見制度の可能性の項は削除されている。

 

(4)最後に
以上、「改訂横浜宣言」を検討したが、あらためて日本の後見制度の問題は大きいとの成年後見法世界大会の問題提起ではないだろうか。日本人の金融資産、個人金融資産1700兆円の7.5割は50歳以上世代が独占、あるいは「団塊ポケット」と言われている個人資産だが、その消費動向も注目される昨今である。

 

団塊の世代が後期高齢者になる前に、成年後見制度の在り方を、障害者権利条約を踏まえた上で、その人達の社会生活、社会関係の中で起こる生活問題に対応できるよう、「最後まで住み慣れた地域で」という制度創設時の理念に戻って検討をする事が求められている。


意志能力に問題のある人、事理弁識能力に問題が生じた人であっても「残存能力の尊重」「自己決定権の尊重」「能力推定の原則」「保護の必要性の原則」が守られるように、どのような社会資源、社会制度との伴走をもって「保護と支援」を進めるのか、そのような成年後見制度へ向けて、制度の改革が求められている。

 

横浜宣言の改訂の方向は、「法的支援と保護」を、利用者本人の意向、意志を中心に置いた支援として、生活問題解決の実現のために進めようとするならば、我が国の現成年見制度の三類型の構成、権利能力を包括的全部剥奪した上で行う後見類型が85%まで利用されている現状に対して、三類型を一元的な制度として、能力推定の原則に叶う成年後見法の改革が必要である事を語っていると思われる。

 

国際的な動向、禁治産制度の世界的な改革の中の異端児のような、日本の成年後見制度と言わざるを得ない。「改訂横浜宣言」はその国際社会からの指摘とも考えられる。「改訂・横浜宣言」の示すところについて、共謀罪における人権侵害の危惧とともに、国民的な議論が必要なのではないのだろうか。

| 成年後見 | 17:00 | comments(0) | - |
成年後見法の問題

私の10年前の放送大学の修士論文を、この度自分なりの完成を目指してみた。10年ひと昔、本当にそうであった。あの時は生まれて初めて正規の論文を書いたので、章立てはしても、なかなか流れが造れなかった。それで仕方なく、書きたい内容を個別、個別に書いてゆき、それをいろいろ考えながら、パッチワークのように、繋いでいった事を覚えている。

一応繋がった時に、ちょうど修論の締め切りだったので、一応の講評を得たく、提出して、あとはもう1年で細かく検討して完成と思っていた。でも担当教官はその年に退官するので、随分ねばって自宅に電話まで入れて留年を願ったが、蛇に睨まれた蛙状態で、卒業してしまっている。

その後は、いろいろと多忙やら、原因不明の扱いに沢山出会い、ふらふらの歳月を送った。3.11以来、しっかりしなくっちゃと、ここまで辿りついている。

女性は、男性とは違って、仕事を得ても、家庭の事は自分の仕事である。子育ても、台所も、洗濯も、はたまた嫁である。自分の時間を自分の為にだけ使える女性は、本当に少ないだろう。私はこの年になって初めてそういう生活をしている。するともう認知症が心配な年齢であった。

今になって見返した成年後見制度は、とても悪法となってしまったが、希望はあると思う。

立法当時、私達はドイツ法、コモンロー諸国の法の趣旨に心を打たれていて、とても立法を願っていて会議をしていた。あれやこれや新しい試みであった。なので期待が大きく、先を急ぎ過ぎていたのかもしれない。反省をこめて、指導理念に沿って改革したく問題点を列記したい。

問題点(餝臈に国民の意思能力を奪う形式を残している制度で、意志能力の減退を3類型に分けて審判する3類型の構成である事。
(立法当時は包括的に意志能力剥奪をする後見類型の利用は例外的であろうとして、新しい補助類型のメリットが強調され、詳しく説明がなされた。私達支援側では補助類型に大きな期待よせたと記憶している。)
★成年後見法の改正の目的は、包括的な意志能力の剥奪からの脱却である。にもかかわらず、利用者の85%が行為能力を包括的に奪われた上で、代理権、取り消し権等を全面的に付与する後見類型では、制度改革の目的、ノーマライゼーションの下、「残存能力の尊重」、「自己決定権の尊重」、「支援における必要性の原則」、「能力推定の原理」と言う、新制度の指導理念の全て、ノーマライゼーションからの要請をことごとく否定し、制度改革の目的をすべて失わせしめている。これは世界の後見制度改革の骨子を外しており、旧禁治産制度と同じく包括的権利能力剥奪法としての成年後見法と化しているが、人権擁護の改革とされてこの形式を固定化せしめている。これが実態と言わざるを得ない。
(この点は国際法学会開催時に、指摘されなかったとすれば、不思議な世界会議であった。指摘されずにはいられない日本の実態、包括的に意志能力を奪う後見制度、これが利用者の85%までも適用されている。日本の成年後見制度は事実上行為能力剥奪法である。)

◆ヾ嫩蟷項から身上監護能力判定を除外しているにも拘らず、身上監護事務を主眼とする人権擁護の制度として、国民そして、各専門職団体に勘違いを誘っている。
(この制度発足時点で、すでに身上監護能力を鑑定内容から除外し、財産管理能力と特定して能力判定を行う制度として発足しているので、立法者(最高裁事務総局)は当初から財産管理中心の法制度としていたと考えざるを得ない。その上で身上監護を行う人権擁護の制度であると強調して、後見人の善管義務以上の義務規定が設けられているとの説明により、支援、利用者側双方に、身上監護に配慮するメリットが強調され、包括的に意志能力を剥奪するデメリットが隠蔽されている。)

★我が国の後見制度では、身上監護と言っても、その重要事項である医療同意については、我が国の医療制度上の、医師の指導指示の絶対性があって、一民間人たる後見人が身上監護義務を持って医療措置、その結果に訴訟等に及ぶ事は、恐らくは許容され得ず、医療同意は外されたのであろう。また居所指定の範疇には、精神科への長期強制監置も含まれるであろうから、これは現在の日本の精神医療の実態、近年の強制監置入院である医療保護入院の増加、世界中の精神病院のベッド数の5分の1を擁している特殊日本的精神医療、過大な病床数、一床あたり年間500万円の医療費が精神科病院に流れるという現状の中で、精神科病院への強制監置を含まざるを得ない身上監護の重要事項、居所指定(施設入所、強制監置)は外されざるを得なかったであろう。最高裁事務総局と精神病院協会は持ちつ持たれつであろう。統合失調症患者の不必要とも言える長期入院が日本的精神医療の経営上の要請であろうから、精神障害者の地域生活促進のための環境整備よりは入院患者の確保の優先の為に、この身上監護の重要事項は外されざるを得なかったと思われる。

このために、身上監護の重要部分には関与しない日本の成年後見制度における身上監護とは、福祉制度の目的規定にカバーされてくるサービスと、成年後見の身上監護は重複しており、実際のサービスは双方の間での住み分けとしては、成年後見制度が、潜在的能力として、訴訟を持って福祉サービス提供における人権侵害に対応できるという事であろう。そこで事実上は曖昧にならざるを得ないであろうから、身上監護の為に、意思能力を全面的に剥奪されるデメリット、すべての行為能力を失ってまで、身上監護配慮をうける事のメリットは、ゼロに近いのではないだろうか。行為能力剥奪されるデメリットは、深く大きく、利用者の人生は、成年後見人次第となる可能性がおおきい。

※後見実務としては施設入所者や入院患者に対しては、月1度内外、後見人が訪問面接を行い、小遣い管理、施設費用の支払いを行うのが通常であろう。
施設側、病院側に不正も無く長年を経過していたある家族の実際の話だが、この家族は、障害ある妹の為に兄姉が長年コツコツとお金を出し合って妹の為に蓄えていたが、兄弟も高齢に達して、長年入院している病院のワーカーに勧められる成年後見制度を利用し始めたという。
兄弟はほっと安心したのもつかの間、後見人は若い男性で、あまり話も弾まず、他の病院に通院する必要があっても手を繋いでもらって外出と言う関係にもなりにくく、しかしこの後見人に月額3万円を支払い始めて、兄弟はこのままだとこれまでの蓄えは数年で尽き果てる事に気付き、病院のワーカーに相談をしたという。すると答えは「その時は生活保護があります。」と言われたそうである。また更に費用を掛けて後見人を変更するのも、もったいなく、諦めつつ、怒りがあると言っていた。

当事者にとってこれだけの額(月額2万円以上)を支払う必要ある身上監護、財産管理であろうか。ドイツの元気な当事者が、お金もかかるし、口も出されるので、「成年後見の時も良かったが、やめてもっと良くなると思います。」と元気に大声で挨拶をしていた事が思い出される。
マスコミ、裁判所の宣伝に騙されず、大切なお金の使い道を慎重に考える事が、当事者の幸せのためではないだろうか。

 この構成にも拘らず、成年後見人への善管義務以上の義務規定を抱える事によって、あたかも権利擁護の制度であるとして、利用者側、被後見人側双方に勘違いを誘い、意思能力剥奪の手続きを簡便にしている。
(後見人は倫理規定に縛られると言っても、成年後見人は一市民なので、事実上は各専門職(民間団体)の倫理規定による縛りとなり、罰則規定は持たない義務規定としての限界がある。結局権利侵害は、刑法の罰則が具体性なペナルティであろうから、財産侵害などは新聞報道を見る通りである。(最高裁事務総局家庭局は、実態をすべて把握しているにもかかわらず、財産侵害の事態のデータは時々リークするのみで、オープンで系統的な報告をしない。)

立法当時は、私達はこの限界に気付かず、権利擁護に携わる者たちが、良いサービスをすべき事を法的に宣言するといった趣旨と理解して、好意的に評価し、胸を張って歓迎したものである。行政法でも無く、従って権利法でも、義務法でも無い、民事法内部の、成年後見法制度である。専門家の議論を待たねばなるまいと思われる。

★実際問題としては、身上監護の中身、その内容によっては、さまざま連携機関、医療、介護、福祉専門職団体、自治体、当事者団体等との連携、協力なしには遂行できないにもかかわらず、その議論はなされずに、専門職団体が、いわば精神論的に受容してきていると、当時の私自分を振り返る。今現在でも後見人の支援の公的なシステムは無く、各専門職団体の研修、財産侵害事件がリークされ報道後などに、専門職団体は決意表明等が行われている。この規定は私法の範囲を超える内容であるとの指摘はみられず、専門職の倫理観の欠如として、最高裁側のリークの度に、首を垂れるばかりである。

福祉の先進国とされて、隣国デンマーク発祥のノーマライゼーションを受け入れたスウェーデンでは、身上監護は福祉制度の基本法である社会サービス法が行い、後見的制度は意思能力剥奪は最小限におさえる方向で、県、市区町村、国レベルの支援体制のなかで財産管理のみを支援するという 。そして能力剥奪は放棄しており、準禁治産から改正された管理後見制度では、「管理後見に付される者の状況に応じて管理人を選定し、しかもその専任に際して、管理人の職務(利用者障害ある個人の行為能力を補うべき内容)を特定し、またその後管理後見に付されている者の状況の変化によってその職務内容を変更できるという非常にフレキシブルに富んだ制度」であるという。
このように、身上監護は福祉法制で行い、財産管理を行う後見には細かい規定があり、これが親子法の中に置かれている。又福祉法制の基本法、社会サービス法の決定は行政決定であり、これに対しては行政不服訴訟を起こす事ができる。日本の成年後見制度は、私法の中で身上監護を完結させようとするその基本構造において、人権侵害が見逃されてしまう構造があるのではないか。

★基本的には公法によって行われるべき領域がどうあるのか、また行政法としての社会福祉法制と市民法である(成年後見制度)の位置関係から、重層的な後見人支援システム形成などが考慮されるべきであったろうが、家族法の側からの批判、家族制度の中の嫁と同じ、後見人に過重な義務を負わせているとの指摘は、この点への危惧として受け止めるべきであったと思われる。現在の後見人による、被後見人への財産侵害はこのような成年後見法の構造的欠陥故に根絶し難いと言わざるを得ないであろう。

★後見人という一個人に過大な権利を与えている一方で、非訟手続きによる非公開の法廷、報酬も一事例ごと年に一度の裁判所の審判で決するという日本の後見制度だが、一方で市民的、普遍的な制度と宣伝されている。そして運用の実態、権利侵害の実態は情報が公開されず、リーク情報が出されるばかりである。このような閉鎖的な労働環境、後見人へのサポートは司法書士会、社会福祉士等の専門職団体の自主的活動によるのみで、公的なサポートシステムが厚労省サイドにも、法務省サイドにも無く、行政権が関与しない市民サービスと言う、構成になっている。行政の関与を求めずに私法領域で囲いこんでいるのが問題の根源ではないか。

立法当時の私は、身上監護として、医療措置、居所指定も入り得るという観測の中で、この規定は当然と考えてうけとめ、この法律の新しさであるとして、当時は議論を深めようという発想が無かった。しかしこの義務違反に対して、誰がどのような手続きで訴訟等をどう可能にし、どのようなペナルティを課されるのか、ここまでの議論が今必要となっている。この制度の福祉諸制度との位置関係、私法と公法の関係も制度上の重要な欠落点ではないだろうか。これは各国様々な習慣、文化、歴史的経過を経て構築されていると思われるけれども、この観点を明確にしないで、利用者の人権擁護は果たせないのではないだろうか。

当時私は、この制度のデメリットには思いが至らずに経過していたが、今考えれば、福祉制度と後見制度の目的、サービス内容の実態的な相違、支援のシステム、その費用負担について、福祉法制との関係性を議論するべきであろう。家族法の側からのこの制度設立時の批判、家制度の中の嫁の様な立場ではなのかといった指摘のように、成年後見人は、孤軍奮闘ケースを抱え込まざるを得ず、後見人への支援体制についても配慮するなど、現下財産侵害の多さについて、制度の構成の側から検討されねばならないであろう。このような制度では、個人的配慮として一人で事例を抱え込みがちになり、財産侵害の温床ともなりうる。
 
ぁ(篏類型の使い勝手の悪さ(当ホームページの成年後見制度の能力判定、4章∋仮函
後見制度を利用する場合、制度は3類型に分かれているので、意思能力を類型的3段階に分けて審判しなければならない。又制度利用の入り口で能力の有無を問う形なので、意志能力有りの場合は委任代理を併用しなければならない。この複雑さ故にか、残存能力を配慮しても、加齢に伴う意思能力減退がすべての人に予測される以上、最も進んだ状態の後見類型が、大部分において審判され、望まれてくるのであろう。
しかし待ち受けている後見類型とは、改正前の禁治産制度と同様、意思能力を包括的に剥奪した上で行う支援であり、残存能力はゼロ、推定される能力は無しとして支援を進める。これでは被後見人の自己決定は後見人の胸先三寸となってしまうであろう。

類型的に意志能力の程度を区別するという構成自体が、ノーマライゼーションに理念に反していると言わざるを得ない。(これは立法当時の弁護士会の指摘にもある。)
 補助類型が望ましく、これを増やしていきたいなら、この構成を改めて、制度の始まりに意思能力の有無を問題にするのではなく、生活上でできない行為、その為の生活危機をカバーできる支援のため、一元的制度になる事が望まれる。先進諸国の立法形式は知る限りそうである。一元的な制度にすると、委任代理を用意する必要が無く、意志能力剥奪が伴わないのであれば、裁判所関与なしでも状態悪化に伴って支援の範囲を増やす事で対応できると思われ、手続き上もシンプルとなる。
 さらには、健常な高齢者においてもおれおれ詐欺等の被害は多く発生しており、消費者保護、その他の苦情受付等の制度との伴走も視野に入れる事ができるので、成年後見法による意思能力の剥奪を不可欠とする支援の必要性について、慎重な事例検討がなされる事ができる。それを追求すべきであろう。

ゴ嫩蠅隆柄撚宗∋箸ぞー蠅領匹気魑瓩瓩襪箸領れが、この制度において進められてきている。
この鑑定の簡素化という観点は、行為能力を剥奪しないという前提で初めて求められるべき問題で有って、意思能力剥奪を不可避的に伴う日本の後見制度上における「鑑定の簡素化」とは、簡便な人権侵害、その最たる権利能力剥奪を簡便に行う事であり、意思能力を奪うに当たっては、医学情報は最重要なので、簡素化はできないというべきであろう。

人間は生物個体としての生命活動を営みつつ、社会文化的な対人関係の集合たる社会生活を営んでいるところから、生物学的条件を把握する事は重要であろう。その上で生活行動における逸脱度合い、その結果いかなる生活危機が生じているのかが特定され、それが継続的であるか否かについて審判されて、初めて後見活動は必要な部分において開始されなければならない、これが世界の新しい成年後見制度改革の骨子である。それを換骨奪胎している日本の成年後見制度で無いだろうか。この法形式で鑑定の簡素化、市民的利用拡大を叫んでいるのは、いわば騙しのテクニックであり、国民はこの実態を目を開けて見据える必要があろう。

ドイツ法では鑑定書が、原則、審判の前提条件となっている。意思能力を剥奪する制度と、剥奪せずに援助だけを行う制度では、鑑定の意味合いが異なるので、同じように簡素化を求める事は、重大な人権侵害を引き起こす恐れがあり、勘違いを誘っていると思われる。現に後見人による財産侵害が絶えない制度でありながら、権利剥奪を簡素な手続きで進めようと、国民に呼びかける事に疑問が生じない人権擁護活動について、専門職としては、再考、深く反省すべきではないだろうか。

幸い今現在の社会福祉士会、司法書士会は、真面目な後見活動を心がける人々の集団であり、財産侵害をするメンバーは例外的である。本当にこの事が唯一の救いである。我が国の新成年後見制度は、法律の基本構造に重大な問題をかかえており、簡単に、包括的に国民の行為能力を剥奪できるので、このシステムを廻すマンパワーの水準によっては、大きな人権剥奪システムとなる可能性が高いと、言わざるを得ない。

たった15年で、ノーマライゼーションという指導理念に対しては、制度の運用実態は間逆となっている事に、関係者は自分達の勘違いを気付かなければならないであろう。利用者の85%もの人々はすべての権利能力を奪われて財産管理をされている。21世紀の今日、このような制度を持つ国家は先進国には無いのではないだろうか。団塊の世代が後期高齢者に達する前に、行為能力剥奪を最小限にする鑑定手続きを検討し、事実上の一元的な制度として改正しなければならないと思われる。

これができない場合、団塊の世代が後期高齢者となる頃には、認知症の惧れのあるとされる人々の資産と生命が、身上監護、および財産管理を拘束する、最高裁事務総局所管の成年後見法下で、動かざるを得ないであろう。そうなると、後見人次第の老後となって、自らは、意思表示不可能な法的身分となってしまうので、逆らう事は出来ないという事態が生じる。(当事者は行為能力が剥奪され、後見人は専門職団体の利害によって拘束され得る)この制度利用によって、合法的に、権利行使ができない境遇に陥るという構成である。

成年後見制度は、人権擁護の制度として、最高裁事務総局による国民の印象付け、勘違いを誘われているが、事実としては、旧禁治産制度と同じく行為能力を包括的に剥奪すると言う、先進国の成年後見法改正の骨子を外した制度となっている事に目を見開き、自分が高齢の認知症になった場合、悪意ある後見人がやってきた場合も想定して、どのようにして、財産や命を守れるのか、ここを軸に精査しなければならないのではないだろうか。

肝心の居所指定も、医療措置も、関与できない制度であっても、身上監護をしっかりとします、権利擁護ですと言う一方で、利用者の85%について全ての行為能力が奪われている。国民は、使い勝手良く、簡素化しますとマスコミ総動員で意志能力喪失(剥奪)を誘いかけている側の人権感覚の「異常さ」に気付くべきであろう。

認知症になり、親族も高齢化する時の、意志能力剥奪手続きであれば、国民一人一人にとっては簡素化する事のできない問題である。やってくる後見人次第では、全てを失う制度である事に気付かなければならない。これを市民的レベルで使いましょうと呼びかけるのだから、国民は最後まで自分らしい生活をするどころか、すべて後見人次第となるのであり、私的自治を尊重するといいいながら後見人次第、後見人に倫理観があるか否かが、運命の分かれ目となるのではないだろうか。

また成年後見人の立場からは被後見人(認知症の高齢者達、障害ある成人達)の生殺与奪を、閉鎖的な環境でにぎらざるを得ない制度と言わざるを得ない。ここに後見人の財産侵害事件の多発(?)の構造的な原因が存在すると言わざるを得ない。

Ω絽支援信託制度について
後見支援信託制度は、2011年4月の実施を前に、司法書士会に最高裁事務総局から情報提供があったのが、2011/01/27である。この時の日弁連主催のシンポジウム(3月4日)に私は、急きょ出席しており、当時は海老蔵事件、大相撲八百長事件、社会福祉士会の後見人の財産侵害事件が重なっていたが、その1週間後には福島原発事故、震災であった。

手元にはその時の資料があるが、このシンポで印象的だったのは、マスコミの記者さんが、あまりに早急に、関連団体との根回しもなく、制度発足するという展開について、「当局と、関連団体の皆さんは不仲なのか?」などとの感想、質問があった時、会場からどっと笑いが起こったことである。

そんな質問が出るほどに唐突、急ぎこの法律は作られている。その後司法書士会は短期間、簡単にこの制度を通している。

この制度は、親族後見人の場合財産侵害が多いとして、財産侵害防止のための制度である。後見人に親族後見人が選任された場合に、さらに専門職後見人(弁護士、司法書士、社会福祉士など)を選任し、選任から数カ月後に、被後見人の財産目録を作成し、親族、専門職が協議して本人にとって「最も適切な生活プラン」を作成し、これに沿った収支予定を作成する事になっている。
そしてこの「最も適切な生活プラン」の経費以外は信託財産とするために、定期預金などは解約して信託銀行に信託させる。このプラン以上の支出が予定される場合は裁判所に「上申書」を提出して裁判所の「指示書」を頂き、これを信託銀行に提出して信託財産からの払い戻しを受ける事ができるとする制度である。専門職後見人は生活プランを完成した段階で辞めて、以後は後見人が事務を遂行する。

制度が提案された当時は、各団体は様々に反対意見を述べたが、翌月4月に実施された。私もこの制度への質問書をぱあとなあのメーーリング・ストに載せている。(新成年後見制度のゆくえhttp://mirai21canal.com/futureNewAdultGuardianShip.html、当ブログ2014.02.14、2014.04.15,2012.03.15参照,)

★1.この法律は、その起案、関係団体への聴取等が無く実施されているが、立法手続きにおいて、三権分立の原則はどうなのか、最高裁事務総局が行政府との協議なしに、国会での議論もなく実施しているのではないだろうか。手続き的に問題があると思われる。

★2.この法律の目的である、高齢化社会を迎えて、障害ある人々の残存能力を尊重して、自己決定を尊重する事ができない構成ではないだろうか。障害があってもその人らしい生活を住み慣れた地域で暮らす為の制度であった筈の成年後見制度だが、これでは一定額以上の金子は、信託銀行に所有権を移転して(信託とは所有権は銀行サイドに移る)裁判所の許可なくしては通常経費以外を使えない。(85%が後見類型として審判されている日本の成年後見制度なので、利用者の能力には幅があるので、使用希望はあり得る。)
また「最も適切な生活プラン」を考えるのが専門職、家族であって本人ではないので、本人は家族と専門職の描く「最も適切な生活プラン」を強いられるのではないだろうか。自己決定権、残存能力の尊重とは眞逆である。

★3.高齢者が営々と蓄えた預貯金をすべて解約して信託銀行に信託して凍結、必要額以上は老後の為に使えない。こうしてTPP後のM&Aによって外資に買収された信託銀行の安定的な資金となる事が予想される。又死亡後はそのようにして残された遺産は、相続税法改悪によって、相続税として国庫に没収されて、戦争へと傾く政策の為の税収となろうか。
この制度は高齢者の老後の幸せに大きく反している。自分の蓄えたお金は、認知症となっても、その人それぞれの楽しみの為に使えない社会となるのではないだろうか。

★4.デフレ懸念の経済政策のなかで、日本人の預金額の75%を占める高齢者が、消費を凍結、一定額以上は使えない制度では、通貨の市場流動性はますます減少し、デフレは進行するであろうから、経済政策との整合性も採れていないと考えざるを得ない。この制度はどのような議論を経て成立しているのか、不明である。

★5.信託銀行以外の金融機関にとっても、営業努力を重ねて獲得した預貯金を国策として有無を言わさずに解約されて、信託銀行に移されるという事は、健全な市場経済の活動に竿を指す政策ではないだろうか。

成年後見制度は、制度利用者の85%が後見類型となっており、事実上包括的に意志能力を剥奪する制度となってしまっている。そこで今の制度を改めて、一元的制度にした上で、必要性の原理(最低必要限度の最後の手段)を守る事が必要であろう。幸い日本の民法は様々な現代的な改正を重ねており、消費者保護制度、その他の日本的民法秩序において、多くの高齢者は意志能力を剥奪される後見制度を利用せずにも、社会福祉協議会の権利擁護事業の利用も選択肢であろう。

最後に:団塊の世代が後期高齢者に達する前に、改革が必要である。
今利用者の85%は後見類型、意思能力を包括的に剥奪される所に居るのが、日本国民である。超高齢化社会となって、多くの私達団塊の世代が後期高齢者、意志能力の減退に直面する時に、良い制度だからみんなで使いましょう、人権擁護を使いましょうと言って誘われて、意志無能力者として最後の人生を歩む事になる。そうなると国民資産75%を所有する人々の財産管理がこの法律により凍結と言う名の外資信託銀行の安定的な投資資金となるのだろうか。本人は行為能力なし、後見人次第となった時、この後見人次第で、どうでも動かせる金融資産の額はハンパではない。身上監護の制度と言っても、重要事項は除外しているので、身上監護は事実上機能できない構成である。
後見人の使いこみがあるというマスコミの報道も不透明である。定期的にオープンな情報開示が必要な領域であると思われる。そして、冷静に考えなければならないのは、最高裁事務総局側が情報をリークすると、なるほどそうかと納得できる程に、その利用者は生殺与奪を後見人次第で握られてしまいかねない制度であることである。
このリークによって、立法者最高裁事務総局は、この制度は、悪意ある人を後見人にされたならば、財産侵害が起こり得る法律である事を、はからずも教えているとも思われる。

たとえば危ないと気付いても、目の前で奪われても、自分自身は法律行為はできない無能力者である。後見人による財産侵害が絶えないのはこの法律の構造上の欠陥と言わざるを得ず、家族法からの批判は至極もっともであったと思われる。

そこで、おれおれ詐欺の被害者は正常な方々においても多く起こっている現状にかんがみて、意思能力を剥奪するという、手続き規定によっては合法的な人権侵害の惧れの多い「意志能力剥奪」について、保護の必要性との兼ね合いを、慎重に検討して再構成すべきではないだろうか。-
利用者の自己決定、残存能力を尊重するならば、今の最高裁事務総局所管の制度から、厚生省の関与する制度へと改革して、後見人の任務をサポートする行政サイドのシステムが求められる。これなくしては、日本の高齢者、我々団塊の世代の明日は暗いと言わざるを得ない。自己決定を本当に尊重する、必要最低限度の能力制限にする支援が制度改革の趣旨であった。成年後見支援信託などは真逆である。最高裁事務総局に距離を置く政権になる、後見制度の抜本改革が必要であろうと考えざるを得ない。

| 成年後見 | 21:17 | comments(0) | - |
ぱあとなあ元会員の不祥事
私は現会員なので下記のメールがメーリングリストで届いた。「さて、昨年末の元会員の不祥事にあたりぱあとなあ東京としましても今後二度とこのような事件を起こさないためにセンター会議で再発防止策について検討してまいりました。」尚私は、病気で退任して以来5年近くぱあとなあの会員だが後見の仕事をしていない。
 
この種の事件はいつも年度末に起こる不思議。人事が動く時期に流れ、どの程度のどんな事かはいつも個人情報とやらで、灰色だ。金額、実名が不明なので、実際よりも大きく予想され、かつ広い範囲に疑いを向けられる。
 
後見制度は、後見、補佐、補助と3つの後見類型があるが、今85%が後見類型で、すべての法的能力を剥奪された上で保護されている。結局当人ができる事も出来ないことも、全ての法的能力は無くなる旧禁治産と同じ。何のための新法改革だったか不明。それを個々の成年後見人が、人権擁護を心がけ新法の理念により努力する所が新しいだけ。
 
この形は当初から家族法の側から、家制度の嫁と同じ、嫁に負担がかかった様に、後見人に負担が掛かると批判されていた。
 
また後見報酬を一例、一例、家庭裁判所が本人財産から審判をして決めるのも変則。裁判所の審判なので、決定事項、報酬や、後見活動全般について、利用者、家族の不満が言いにくい(厚生省でない)。
 
特に後見支援信託制度は、家族後見人の場合、財産侵害が多いとして、月額一定の経費以外は使えないように、すべての預金を解約、信託する制度が造られた。この制度では認知症の高齢者は決まったお金以上を使う時は裁判所に許可が必要で、せっかく高齢者が苦労して蓄えたお金を老後に使えない。
 
日本国民の預金の75%は高齢者が持っている。その多くが信託銀行にプールされる。信託銀行はM$Aで外国企業となる時代に、高齢者の資産は自分の為では無く、信託銀行から外国の信託企業の為に、安定的な資金源となるだろう。
 
一人の後見人に大きな権限を与えて、厚労省の制度では無く裁判所の制度にしているところが問題。福祉制度のような配慮が無いのが、財産侵害が多くなる根本原因だ。
 
利用者の能力に応じて利用者にも法的能力を残して物を言わせる事、そしてその報酬は裁判所がわざわざ一件一件、審判をして決めると言う無駄な手間をかけないで、後見人協会なりの集団後見にして、報酬は労働の対価として厚労省サイドのルールで決めるべきだ。そうすれば、財産侵害する事が難しくなり、後見人は出来高払いで無く安定的な賃金体系を得て、よいサービスができると思う。
 
政策の基本構造が行政立法司法の三権分立を犯しているのではないか。民主的制度に変換しないと、財産侵害は起きやすい。
 
| 成年後見 | 18:58 | comments(1) | - |
被後見人の選挙権
 

国会でこのための法律が通ったという報道に、ほっとする。そして、どうして、長い事この矛盾に気付かずに私自身は後見人を務めてきたのかと、反省する。

 

私達は自分の思考回路が、いろいろな情報に支配されてしまう事を自覚しつつ生きていかないと、いつの間にか、人権侵害をしたり、独りよがりにも陥る存在だと思う。

 

ナチスドイツを支えた優秀な官吏、普通のドイツ市民、そして太平洋戦争で命がけで、他国の人々の不幸のために、そして自分達の不幸、沢山の人々の屍を作る為に働く事態もあったと、頭に入れなければ、同じような事は繰り返すと思う。

 

特に、薫り高い理念とか、理想と言うものが危ないのだ。成年後見制度は本当は裁判所ではなく、福祉サイド、厚生労働省が、費用負担関係も添えて、支援のための制度をつくり、後見人の人件費は、労働への対価として、バランスの取れた額が出るように、しなければいけなかったのではないだろうか。

 

理念先行、実務軽視のつけは大きい。そして騙されないよう、崇高な理念の裏側、様々を想像する力が、今求められている。我々高齢者は、その為に人生の苦闘の成果、何よりも価値あるその成果を、若い世代のために使う時ではないだろうか。

| 成年後見 | 08:18 | comments(0) | - |
成年後見制度の利用者が支払う費用
成年後見制度とは旧禁治産制度である。裁判所、マスコミの宣伝にもかかわらず、この新しいと言われた制度は、事実上旧態以前な意思能力剥奪をしている。それを後見人の意識改革だけで、制度の新しい理念を実現できるとしている。

 

袋は元のままである。家族法の側からの批判は,この点を指摘して、旧家制度の女性の役割を後見人に着せているというのであった。なるほど、皮袋は旧禁治産制度の枠組みで、それを後見人への理念教育で新しい理念、権利擁護を実現できると言う、かなり危ない制度ではなかろうか。

 

この頃はいろいろと不安になる。権利能力を全剥奪して、選挙権までも剥奪して、守るのは誰の命、財産か?

 

私の知人の場合、兄弟姉妹がコツコツと蓄えて妹のための老後の資金をキープしていたところ、兄弟が高齢化して専門職に依頼したらと言う病院ワーカーの勧めで、この制度を利用したという。

 

みんなホッと喜んでいたら1年後、30数万円を後見権人に支払う事になった。(異性介助で何かと遠慮だと。)これでは蓄えは数年で潰えるだろうと言ったら、その時は生活保護があるといわれたと。

 

これでは何のための人権擁護であろうか。誰も経済的自立のために努力する甲斐がないではないだろうか。当事者も家族も積年の苦労をどう思い返せばいいのだろうか。生活保護制度の利用は不名誉と言うのが今の日本の実情である。

 

受任者の報酬請求権についての規定は、民法第648条、委任契約はローマ法の沿革から無償が原則であり、報酬を請求するには特約が必要である。しかし専門職の場合、日本の裁判所は、1件、1件、毎年、毎年、仕事の内容、資産状況などから審判をして決めている。

 

後見人の身上に係わる居所指定、施設入所など個別に審査するドイツ法と違い、日本の裁判所はそれはせずに、報酬の方はいちいち様々を斟酌して審判。何か本末転倒している。

 

イギリスでは持続的代理権授与法だが、収入の5%でも高額と問題になったと言う。日本の厚生年金平均は17万、その5%は85百円、国民年金なら35百円である。これでも高いと問題だったらしいが、日本では収入に係わらず、月最低2万円以上を自分の財産から裁判所の審判だもの、支払っている。

 

福祉法制下の制度なら、収入が問われて、費用負担がきまるが、成年後見法は民法原理、個人の契約原理なので、収入が問われない。

 

ドイツの専門職世話人は世話協会の職員として月給制だった。イギリスは資産家の利用だろうか。日本では身上監護が必要な人達には収入も資産も乏しい場合も多く、選挙権まで剥奪されて、何をどう守られているのか、困った制度になっていると思う。

| 成年後見 | 13:26 | comments(1) | - |
後見支援信託制度への質問

 4月14日(土)「平成24年度 権利擁護センターぱあとなあ東京会員の集い」があり、東京家庭裁判所、篠原 淳一氏の1時間半に渡る講演が予定されていました。

私はぜひ出席して直接お聞きしたい事が有りましたが、家庭の都合でに出席できませんでした。そのため以下に出席して質問したい4点をMLに投稿しました。

後見支援信託制度について質問があります。(転換ミス等文章を整えてあります。4/21)

会員番号 70081 山 眞弓

1.後見支援信託制度の所管は何処なのか。
     (三権権分立に抵触しないのか?)
  
この法律は、裁判所でも国会でもほとんど議論されることなく、法務省の法制審議会も通さず通ったと思われますが、この法律について検討した会議等があれば、教えて頂きたい。

また法務省では無しに、裁判所が法律を起案し所管しているのであれば問題だと思うが、この制度の所管関係を教えて頂きたい。

法の起案等は立法府、執行は行政府の専断事項と思われますが、法務省のしかるべき部署が、他の法案と同じ手続きの下行われるべきと考えますが、この制度の所管関係を教えて頂きたい。

もし裁判所が、後見支援信託制度を創り、所管していくとすれば、私は民主主義国家の運営ルール、権力の集中を排除する為のルール、三権分立に抵触する起案、所管ではないかと考えます。

三権分立の建前と、裁判所が所管する法律の存在ついて御説明を頂きたい。
 

2.景気の回復は国民生活にとって大きな問題ですが、デフレ下経済政策との不整合性について

日本国民の預貯金の74%を占めるのが高齢者の預金です。若い世代は不安定雇用の中での(全就労者30%が不安定雇用とは昨年のデータです)子育てであり、労働分配率は長期的に低迷する日本社会です。我が国の富はこの世代に集中しています。


その一部をを事実上凍結するこの制度は、デフレ下の日本の金融政策(ゼロ金利として市場流動性に配慮)等経済政策に、真っ向から反する内容と考えられます。この基本的な観点は、起案時点では考慮されなかったのか、されたのかを教えて頂きたい。

されたならその内容を、されなかったならばその理由を教えて頂きたい。

3.成年後見制度の目的との関係では、法の趣旨との関係

制度発足の意義は、「高齢化社会への対応、および障害者福祉充実の観点から利用しやすい柔軟かつ弾力的な制度設計をするという実務的要請とともに自己決定の尊重、残存能力の活用、ノーマライゼーション等の新しい理念的要請にこたえるために」制度を新しくしたと説明されています。(「新成年後見制度解説」小林昭彦・大門匡編著 P8(社)金融財政事情研究会 平成16年3月)

しかし、後見支援信託を利用する当事者は自分の資産の活用に一定の手続きを要求されると言うべきでしょう。これは制度の趣旨。残存能力の活用、自己決定権の尊重には反しているばかりか、実務上の要請にも反し、上位の法との整合性が採れていません。極端にいえば、上位法との齟齬により違法の疑いもあるとも思われ、法の趣旨との関係をご説明頂きたい。

(成年後見人による財産侵害の実態に対応するものであれば、その実態を公開し、実態に基づいた対応が検討されるべきと思われますので侵害事件の実態を公表してはいただけないのか。)

4.成年後見制度における、包括的な権利能力の剥奪とも思われる後見類型の是非について

制度発足時の予想に反して、制度の三類型のうち補助、保佐類型の利用が少なく、後見類型の利用に集中しており、平成22年度で全利用者の85%が後見類型と、圧倒的に後見類型が利用されるという経過が続いています。

新制度は利用者残存能力の活用を旨としているので、権利能力全てを包括的に後見人にゆだねる(権利能力の包括的な剥奪規定)後見類型は、例外的、危機対応的な制度であるべきと思われますが、現実には後見類型が全利用者の85%以上をしめています。

後見制度の主要な部分である後見類型における、行為能力制限、剥奪を個別、弾力的に適応できる事が望まれると思います。

この点について、今後の法改正等に関連する動き、ご意見をお聞かせ頂きたい。

上記4点の質問です。どなたか同じような質問事項がある方がおられれば、参考にして頂けないかと考えて投稿しました。宜しくご考慮下さい。

| 成年後見 | 16:11 | comments(0) | - |
後見支援信託制度
の制度(このブログの2011/3/5 2011/4/4参照)が2月発足している。この制度の所管は三権分立の民主主義の原則を犯して、司法の最高府最高裁の事務総局である。事務総局が司法でありながら制度を作り、その所管部局となっている例は、私でも気付く事ができたのはインチキくじ引きソフトの検察審査会、そして成年後見制度の二つである。

 

その他司法でありながら、事務総局が事実上の行政の機能を行使している例は、専門家がその視点で各法制度を見渡せば、あったのかもしれない。何故法務省ではなく、裁判所ができるのか、司法行政は法務省であろうが、素人には良く分らない。この場合裁判所が事実上、行政権を行使しているのではないだろうか。本来裁判所は司法権の行使をするのみであるべきだろう。

 

後見支援信託も、検察審査会の大きな変更も、裁判所でも国会でもほとんど議論されることなく、法務省の法制審議会も通さず、通ってしまっている。

本来新制度は様々に俎上にのぼり、審査されるべきである。さらにその記録を残し、その制度について吟味された内容を記録すべき事務部門である事務総局が、何のチェックも受けないで、新制度を拵えるとも見える。当事者が最高裁の内部なので誰も裁く事ができない。最高裁と言う事で唯唯諾諾となる。

 

昨年の事、私達社会福祉士の成年後見活動を行う人々の団体「ぱあとなあ」の会員から、財産侵害の事件が一つ発生した。社会福祉士による後見の受任候補者リストを提出し、専門職として後見活動の質的な向上を、職業倫理の見地から図って努力中の「ぱあとなあ」である。

 

その時、この事件の当事者の名前は捜査中、個人情報であるとして公開されずに一年程が経過した。その間「最高裁も認めている」とは、ぱあとなあの総会の説明だったが、会員の全員調査が計画された。全員調査の対象範囲であった私達は、いわば被疑者の立場に置かれた上で、永く永くかかるであろう全員調査完了まで、灰色となる。

 

全ての「東京ぱあとなあの会員」は被疑者扱いだったと言う事になろう。賢明な会員の根強い反対で全員調査は厳密には実行されないで終わった支部もある。私が被疑者ではあり得ない事をこのブログで、私は公開している。

 

私は当時、旧陸軍の連帯責任を彷彿とさせる驚くべき人権侵害、全員調査なので、総会ではこのブログにも載せた発言をしている(2020/4/21 2010/4/27 2012/4/27 )。当時は相撲協会も八百長相撲で全員調査、通報が奨励された頃である。力士達も全員被疑者である。疑わしきは罪人扱い、行動制限を平気でする。マスコミが同調して当然のごとくに世論を誘導していた。

 

これは報道統制しているという、最高裁事務総局の関与ならではの推移であろう。人権侵害を白昼堂々とする暗黒社会が今の日本である。手続き無しで法律が起草されて、あっという間に施行され得る。その証明が今回の後見支援信託である。そして検察審査会の起訴権限取得、インチキソフトであろう。

 

どちらもお粗末すぎる制度である。三権の独立は判官交流ですっかり反故。それに気付く事さえ出来ないのが日本の法曹職なのだろうか、そんな筈はない。知っているからこそ頬被り、甘い汁を手に入れている等と邪推する。
| 成年後見 | 13:30 | comments(0) | - |
成年後見制度のゆくえ(11)
成年後見制度はその創設の理念を守る事ができるのだろうか?

 

戦後の全ての分野で行われた民主的な改革、その精神、理念の薫り高さの一方で、実態的にはその真逆の構造を作り上げてきたのは、戦勝国アメリカそして日本の官僚機構だったのだろうか。

 

それらの手法を良く分析しなければならない。非核三原則さえ真っ赤な嘘、アメリカ向け、国民向けに使い分けてきた政府の手法を今、TPPなどの国民生活の基盤を揺るがす政策転換時に、野田総理はこの手法を踏襲している。

 

理念をなし崩しにする事ができる鍵、裁判所ならば人事権、成年後見制度ならば行為能力剥奪、非核三原則なら日米合意事項の非公開、憲法9条なら何であろうか、それら事実を要件とする罰則規定でも持つしかないのだろうか。

 

理念性に酔ってばかりはいられない、実態的、実質的に自分の首を絞める動きを見抜き、その転換の道筋を模索しなければならない。敗戦国の国民であっても、命も、生活も、子供達の未来も、奪われ続ける事はあまりに苦しいではないか。

 

成年後見制度は、新しいのだから、包括的行為剥奪を見直し、私達後見人は被後見人のために手間をかけて身上監護をしっかりと進める事。

その実践をとおして、新成年後見制度はその本旨、ノーマライゼーション、判断力に問題が生じた人々の「私的自治の拡大」にもどる事できると思われる。

| 成年後見 | 10:38 | comments(0) | - |
成年後見制度のゆくえ(10)
戦後日本の政治手法

 

裁判所の運営や司法行政事務についての公式見解としては、「バイブル」のようにさえ見なされてきた「裁判所法逐条解説・上下」(1968年)が生きているそうだ。

 

この中身は戦後の司法の行政からの独立、三権独立を骨子とする司法改革、裁判官の間での平等、「法曹と言う専門職者間での平等」に基き、裁判所の長官は、他の裁判官と同じ立場で裁判官会議の一構成員としている。この裁判官会議が裁判所の実務執行のための機関であり、その議により行う司法行政事務が適切妥当であるように、事務を担当する諸機関の調整助成する者が裁判所の長官と位置付けているという。

 

しかし実際問題は、3700名の裁判官に明示されないルールによる人事評価があり、評価する側(高裁、地裁の長官、その他様々)の情報が最高裁事務総局に上がる構造の中で、裁判官会議は実質事務方、最高裁事務総局が握りこみ、形骸化しているという。

 

その任地(転勤先)、報酬について影響を行使しつつ、裁判の中身までを左右する司法官僚組織、事務総局の下で、ヒラメ裁判官などと言われる、人事権を持つ集団の意向を伺わざるを得ない裁判官文化がすでに根付いているのだろうか。ある意味生殺与奪を握られている。

 

おなじく憲法9条にしても、薫り高く戦争放棄しているそばから、自衛権の行使は例外として、5兆円の国防予算額は世界第3位の規模を誇っている。非核三原則を国民に示して、アメリカとの間ではその真逆が密約され実行されていた。

 

成年後見制度も、横浜宣言の薫り高い理念の宣言の後、数か月で後見支援信託を成立させて、このために親族後見成った高齢者の金融資産は月々の必要経費を前もって提出させられた後は、それ以上を消費する時は面倒な手続きを要する信託銀行への信託となる。すべての金融資産を中途解約して信託を強制される。

これは判断力の衰えた高齢者の資産を、後見人の財産侵害から守るため信託銀行に凍結するとの表現だが、TPPによる金融自由化の波の中、外国資本に吸収されつつある信託業界を通じて、高齢者が営々と蓄えた貯金を、外資が安定的な投資資金として活用する為の手立てとも見える。

デフレ下の日本経済政策なので市場の通貨流動性の増加には背反する意味不明な制度であると思う。日本の1400兆円の金融資産の75%は高齢者が持っており、若い世代は苦しく、高齢者は子供世代の将来と自分の介護の不安に備えて、貯金を使うに慎重にならざるを得ない。世代間格差の広がる日本社会の実態である。

 

理念に酔わせつつ、実態の矛盾を直視させずに受け入れさせるのが、支配層の手法のようである。

| 成年後見 | 20:51 | comments(0) | - |
成年後見制度のゆくえ(9)
包括的な能力剥奪ではなく、必要に応じて権利制限を行う

 

ドイツ法世話法にせよ、イギリスの持続的代理権授与法にせよ、それぞれ当事者の個別事情、生活問題、後見ニーズへの対応が問題とされる。一つ一つの問題についての手当であって、包括的にその人の行為能力を剥奪する旧制度を改革したのが新成年後見法であった。

 

新しい成年後見法は内心の思考過程の異常、病変を抱えつつ行う社会的行動の様態、その行動が引き起こした生活危機、後見ニーズへの支援を行う制度である。

 

なので、私は支援の対象であるその人の社会的行動、法律行為が引き起こす危機、その危機の程度を評価する事を通して、その人の思考過程の異常という内面を測る事はできると考えてみた。私の修士論文は、その人が行う法律行為が引き起こす危機の評価により、後見を利用するか否かを判定する事ができるので、当事者の行った法律行為の結果、事実関係の評価が能力判定そのものに通じるとしている。(危機には旧法から引き継いだ市場の安定と被後見人の身上の危機を含む)

 

成年後見活動の中身を身上監護に軸足を移すならば、成年後見の事務は、福祉諸制度などの生活支援のサービスの吟味を中心に置く事になり、どんなサービスがどう必要か、結局はニーズ調査に近い内容になるので、この能力判定で矛盾は生じ得ないと思われた。

 

身上監護ニーズを持つ利用者の行為能力を全面的に剥奪するよりは、それぞれの必要(ニーズ)に応じた事項に関係した行為能力の制限となる方が、身上監護、心身の安寧のためにも、論理的にも妥当であろうか。当事者の残存能力に配慮できる形式でもあろう。

 

包括的に行為能力を剥奪する現制度では、後見人は裁量権が大きい中でケースを孤軍奮闘抱え込む事となり、権利侵害、財産侵害等をも抱え易い形式でもあろう。

 

包括的に行為能力を奪う後見類型の利用が利用者の85%にも達する我が国の成年後見制度であるからこそ、利用者の人権に配慮すれば、主要なニーズとなる身上監護をこのままの形式で続けて良いのかが問われる。

 

包括的に行為能力剥奪する後見類型を、必要な事項の能力制限とする法形式に転換する事が必要であろう。

たとえば、何だかの意図を持つ検察官が一人いれば、その検察官に目を付けられた人は非公開の審判の中、有効に抗弁が出来ない可能性は否めないのが、特殊日本的な検察官の裁量の大き、そしてその中での捜査権、その上検察と裁判所の一体的な関係であろうか。

| 成年後見 | 02:30 | comments(0) | - |
 
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