みらい21かなる - 社会福祉士 山眞弓

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無意識的な二項対立
レヴィーストロースの神話論理の読み解きによると、神話は、場面ごと細部ごとに、ある種のアナロジーによる、暗喩、換喩、反転が繰り広げられている。さらに両義的な意味を持つ自然の動植物を媒介にして、その意味の重なり合う、二重の意味方向へと神話の細部は変換されているという。すべての神話は互いに変換関係にあり、全体が大きな薔薇窓の様に広がる、一個の宇宙の内側にあるという。

それならば、私達がそこで知りたいのは、其々の変換において、人間の観念作用が行った、記録、記憶の形式、あるいは意味論的ともいえる、その二項対立の存立のされ方ではないだろうか。

その形式を、レヴィ=ストロースは、「無意識的な二項対立」と言い、音の組合せ(シニフィアン)と、指し示す意味(シニフィエ)の関係を記号(シーニェ)として理解するソシュールの言語論、記号としての弁別特性(示差的特徴)に対応する「二項対立」としている。

それは言語での、各音の差異を識別する二項対立、示唆的特徴をもって対立している音同士と同じ。このような「二項対立」関係、それはコンピューターの言語、2進法的な、onとof  に対応するとも見える。

たとえば、母親が自分の抱いている小さな子供、この子は我が子、そう気付いた時点で、その子は他の人間から区別、差異化されて、我が子として意識化され、認識されるのではないだろうか。そこに初めて、その我が子と非我子(他の人間達)との間に、2項対立関係が生起する。

さらに火を入れた食べ物は、腐敗しにくく、味も良かったり、口触りが良かったり、生のものとは違うと気付いた時点で、火の入った食べ物と火の入らない食べ物(非入火)が区別され、差異化され、2項対立関係となる。

気付かれた側が(on)、そうではないもの達が(非on)。(非on)=(of)として区別され、記憶され、「無意識的な二項対立」的に整理されゆくのでは無いだろうか。

それが、原初的な人間の気付き、感興の記憶のされ方。観念作用の経過、過程とも見える。そうすると、複雑な親族構造について、二進法的なルールを使いこなしているコンピューター技術者において、カリエラとか、さらに複雑な親族構造の形式が解明される事ができはしないのだろうか。

二項対立の変換関係、対立する二つのうち、どちら側とどちら側が、どの順序で、さらなる二項対立を重ねて行ったのか、親族構造の構築過程などと。

言語よりもさらに抽象度の高い観念作用、その表現形式が数学である。21世紀の数学が、原初の人間の観念作用、意識の流れ、記憶のされ方、その構造、構図と、同値になっているとすれば。それは驚きであり、私達の観念作用の無限定さを示すような気もする。
| レヴィ=ストロース | 23:24 | comments(0) | - |
時間と、その入れ子
レヴィ=ストロースの言う、「神話の時間」の流れ方を思う。「熱い社会」を生きる私達にとって、「冷たい社会」との遭遇は、「未知との遭遇」なのだろうか?
 
昔、重力加速度というのを習ったが、それは自由落下運動で、手に持った重い物を、初速度ゼロ(0)、つまり力を入れないでそっと落とすと、重力の力にまかせて落下して、その動き(運動)は始めはそっと、しだいにやや加速度をつけながら落ちていく。
 
重力という地球上の物体すべてにはたらく力があって、常に地面の方向、下直角向きに引っ張るので、重力加速度がつく。
 
その力は重力(gravityだそうで、物の重さ、形、大きさに関係なく一定で、g =9.8[m/s2]で、速度v=gt)。その時のが時間だった。その時間はいつも時のかなた方向に向かい、同じ密度、同じ速さでしかあり得ない。

それが近代人の想定している時間であり、刻々と時を刻むぜんまい仕掛けの時計の刻む時間、未来と言う一つの方向へむけて、均質、等速、である。
 
しかしレヴィ=ストロースの神話時間は、「可逆的かつ不可逆的、共時的かつ通時的でもある」という二重性を持ち、あるいは共時態の中に通時態が「入れ子」のように埋まりこんでいるという。
 
子供時代の時間は長かった。ぐっすり眠りにおちて、いろいろな事物を眺めて、触って、日によって密度は違った。客人の泊った夜は短く、病気の夜は長い長い夜。若いころはあっという間の一日、くたびれて、朝は脱兎のように駆け抜ける。そして高齢期の今、時は再び、まどろみの中である。引きこもり中の人の時間はどうだろうか。
 
時間とは、近代人以外においては、決して均質では無く、流れゆく方向も多方位だったと思う。マックスウェーバーが言うように、仕事は神に与えられた天職として、日夜刻苦精励、祈るように、宗教行為であるかのように、神に憑かれたようにひたすら励む事とひきかえに、現世の富が正当化されたのだから。
 
時の「入れ子」との遭遇、別の時間性、様々な入れ子的な時の流れ。それが新しい「幸せ観」を創るのかもしれない。
| レヴィ=ストロース | 08:13 | comments(0) | - |
レヴィ=ストロースの思考

今回は、考えかけのレヴィ=ストロースを、貧困概念との関係でざっと纏め、ホームページにアップしてから手術台に上った。

 

昨年5月に社会的排除と不平等問題の関係に気付いてから、その事に関連して構築主義的な考え方を読み込みつつ、自然と文化、その間の移行が人類のきた道だったのかと関心を持った。

 

落ち着いた今、レヴィストロースの思想の骨子は、『野生の思考』と思われているが、この思考のありようは、物を眺め渡す視角、やはり時間軸をいれるというところが革命的なのではないかと思う。

 

近代的な社会科学的な概念構成は、ずーっと時の彼方(何万年も前)から続く、変化を伴いつつ構築されている事象を、いつも現在の人間生活の感覚で、時の矢の最先端から、その表面の図を、2次元的に平面的構成をしてのぞいている。

 

時の流れという奥行きの深い、底が見えない程深い四角の水槽、中は渦巻き、逆流、空なのかさえ見えない、その上から中を見下ろして、2次元の平面として眺める。そうではなくそれを横っ腹からも眺めている。それがレヴィ=ストロースが行う構築主義的思考かもしれない。

 

構築主義はその事象が時の流れの中で構築された過程を横っ腹から眺めている。なので通時的な変換と共時的な構造が見えてくる。人間の精神機能、多方位へと閃(ひらめく)く象徴機能を跡付ける事ができる。

 

レヴィ=ストロースは名人芸的に、他の人にはまねのできない分析をしていたといわれるが、近代的科学的思考の限界は、構築の過程に起こった別々の事象を同一平面上で同じレベルで整理しようとする無理なのではないのか。

 

自分に見えている事の、奥行きを無視して平面として扱い、見えた分だけを十全な真理として他の思考を否定する、ある種の錯覚をかかえている。

 

レヴィ=ストロースの博識、丹念な資料への考察、そして画家的な感性と知性の融合がこの手法を可能にしているのだが、それは近代主義的な、ある種「限局された平面的思考」を修正する時の流れ軸、不連続的複雑性を基本構造とする、やがて意味の世界を抱えた時空、人間の精神機能の広がり、そこを視野にいれている、普遍的な方法論なのではないのかと思った。

 

レヴィ=ストロースの構造主義は、近代的社会科学的な概念構成を揺すり動かし続けるのではないだろうか。

| レヴィ=ストロース | 21:37 | comments(0) | - |
 
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かなる(canal)は「運河」と言う意味です。以前の目黒川に面した6階の事務所から眺めると、目黒川がちょうど足下を流れているように見えて、まるで運河の上にいるようでした。それでベニスのグランカナールのイメージと重ねて、私達の事務所がいろいろな情報や物資を運び込むよう、21世紀の運河になるようにと名付けたものです。