みらい21かなる - 社会福祉士 山眞弓

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栗原衆(くりばらしゅ)
故郷でも栗の実が落ちるころ、台風が来た。布団の中で、うちの「いぐね(屋敷森)」から栗の実が屋根に落ちる音と、風の音を聞き分けて、じっと風呂上がりの暖かさの中から祖母に頼んでおく。「明日、一番に起こしてけらいん。栗拾うから」
 
風の夜は沢山栗が落ちて、トタン屋根をたたく音が響くのだった。栗の実ばかりは、自分の家の「いぐね(屋敷森)」の栗さえも、一番早く起きて拾わないと自分の栗にはならず、一番先に拾った人に属するという慣習。隣近所の友達、通りかかりの大人などが拾っていく。
 
今から思うと、これは近代的私的所有の原則に外れている。そんなことは思いも及ばず、とにかく早起きに勤めるのが子供。私はどうしても一番に栗を拾うと言う事が叶わなかった。
 
三内丸山の遺跡が発掘されて、縄文の集落では栗を栽培して主食だったらしいと言う事を聞いた時、いろいろと思いは巡った。私の祖母は栗原郡から嫁いできた人で、家の方(玉造郡)では山を越えた栗原方面の人達を栗原衆(くりばらしゅ)と呼んでいたと聞いている。
 
栗の原の中に住む人々とは、まさに三内丸山の人々、栗原衆(くりばらしゅ)はいつの時かその文化をもって青森(北の方角)から移ってきたのではないだろうか。玉造側では、その人々が植え付け、やがて繁茂する栗林の連なる風景を目のあたりにして、彼らを栗原衆と呼んだのだろうか。
 
いぐね(屋敷森)の木に最後に残った実を落として拾い集めた分は家のものだったけれど、契約講、結いや入会地のような共同管理所有の慣習が、主食であった栗の実に於いて伝えられ根づいていたと私は思う。
 
栗原衆の顔立ちは、奥眼であって、顎が張り、鼻は実厚い。祖母も父親も、叔父叔母達もそんな特徴を持っていた。私も他人が見ればそうだろう。例えば俳優の菅原分太さんのような顔、この人は栗原衆だと聞いたことがある。
 
家の栗は丹波栗というのだから関西の栗の木だが、その栗の実も、玉造郡であっても、古代の人々の所有の感覚、互酬的な共同所有の形式であったと今思いあたる。主食であった栗の実は、屋敷森の実でさえもその家の私的所有ではなく、集落に帰属する。集団所有というべき形だった。
| ふるさとの暮らし | 18:01 | comments(0) | - |









 
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かなる(canal)は「運河」と言う意味です。以前の目黒川に面した6階の事務所から眺めると、目黒川がちょうど足下を流れているように見えて、まるで運河の上にいるようでした。それでベニスのグランカナールのイメージと重ねて、私達の事務所がいろいろな情報や物資を運び込むよう、21世紀の運河になるようにと名付けたものです。