みらい21かなる - 社会福祉士 山眞弓

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美濃加茂市長への控訴の論点(6)
日本の法文化の形成―第二次大戦後の憲法

そして敗戦後、日本国民はGHQ主導の民主憲法を与えられた。進駐軍の日本占領の目的は、戦争直後の軍国主義の壊滅、民主主義社会へ、を大きく転じて、1947、8年にかけてソ連封じ込めの累(とりで)と転換されている。

この転換は軍国主義を担った戦犯の刑執行を止めて、この人財の活用によってなされており、生き残ったのが戦前の治安維持法を執行した集団、体質である。

ここに1947年施行の裁判所法、検察法は日本の建前、本音としての被疑者取り調べ法が継承されて、起訴便宜主義、特捜捜査、判官交流は本音の部分として、建て前と本音が着々と動く二重構造的法システムへと向かったと思われる。この思想、路線は、現下の安部内閣の政策と重なっている。「依らしむべし知らしむべからず」、「特定秘密の保護に関する法律」、「取り調べの全面可視化反対」である。

だがここで過度の自己否定に陥らずに見渡せば、今から140年以上も前、明治の初めの日本で「国の富強のもとは国民の安堵にあり、国民の安堵のもとは国民の位置を正すにあり」と、初代司法卿江藤新平は語るのである。

「国が富み栄えるためには、国民の安堵がある事」そして「安堵のもとである、国民の位置を正す」と言うのだが、この位置を正すの中身は「国家の責任において国民の権利と義務を確定し保証しなければならない」との理解がある。国の富み栄えのもとは国民の安堵、国民の安堵とは、国民の位置が正されている事、この意味が大切であろう。

佐賀の下級武士江藤新平は、ここに一般国民、庶民の側を向き、人民主権の原点を示している。しかし明治7年(1874)2月15日、この江藤は佐賀の乱の後、佐賀城に設けられた便法的な臨時裁判所の判決で即日梟首、41歳であった。江藤を葬ったのは大久保利通との疑いは深い。

国と国民の関係を正す事、その事が国民の安堵のもとであると江藤新平は言う。国民の安堵こそ富国のもとであると言う。おどろくのは、この考え方は小沢一郎の「国民の生活が一番」と同じ発想、思想であることである。

今こそ日本人は、国と国民の関係を問い返さねばならない。それが憲法論議である。9条ばかりが憲法問題では無く、国と国民とはどのような関係をもって政治が行なれるべきか、この根本命題を考えなければならない。

自衛隊に志願せねば、自分の家族を営めない、日本の貧しい若者が、アメリカの貧しい若者の代わりに、世界中の戦場へ戦場へと向かう事となりそうな、自衛隊の海外派兵である。彼らが、戦死あるいは帰還兵として荒れすさぶ時代が到来しようとしている。

今こそ「国民の生活が一番」という小沢一郎の言葉は重たいのではないだろうか。
| 日本の冤罪 | 09:22 | comments(0) | - |









 
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かなる(canal)は「運河」と言う意味です。以前の目黒川に面した6階の事務所から眺めると、目黒川がちょうど足下を流れているように見えて、まるで運河の上にいるようでした。それでベニスのグランカナールのイメージと重ねて、私達の事務所がいろいろな情報や物資を運び込むよう、21世紀の運河になるようにと名付けたものです。