みらい21かなる - 社会福祉士 山眞弓

みらい21かなる

TEL/FAX:03−3492−0735
ホームページはこちら ≫
美濃加茂市長への控訴の論点(9)

裁判の中で見えてきた事―検察・裁判所の癒着と国民の立場(9)

仝〇,録深造魑瓩瓩
この事件では検察側は事の真実を追求していないと言えよう。収賄事件において、贈賄と収賄の事実関係は写真のポジとネガ、双方を組み合わせて実像が浮かび上がるのだから。

贈賄側の業者nの人となりを映している、自供した悪質な贈賄側の犯罪・融資詐欺の事実関係は全体的に矛盾なく、容易に証拠固めできる構造である。被害側は特定されている銀行であり、通帳と言う記録文書、物証もある。しかしそれを取らず、放置する事が、法解釈と、日本の裁判制度と、悪質な検察官三つ巴の結果として許され、そう執行された。これが現下日本の検察、裁判所の現実である。

一方収賄側に対しては、現職市長を2か月に渡る拘留を続けた。この間現職市長の身柄拘束を解くために市長弁護士側の、「6月24日の逮捕以来、仝留に対する準抗告、勾留延長に対する準抗告、8留取消請求、い修侶萃蠅紡个垢觸犢街陝↓テ唄却決定に対する最高裁の特別抗告、β茖閏(歇畧禅瓠↓第2次保釈請求、┐修竜儔七萃蠅紡个垢觸犢街陝↓第3次保釈請求、第4次保釈請求と10回にわたる弁護人の身柄釈放を求めるアクションは、ことごとく却下・棄却」であった。

刑事訴訟法1 条 [法律の目的] では、「この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。」と。

この前段は、目的達成の方法・あり方(解釈・運用の指針)だが、「公共の福祉の維持」+「基本的人権の保障」を全うする方法、これによる事が求められている。公共の福祉とは刑事手続において犯人を特定・処罰することにより、侵害された法秩序を回復することとされる。

あらためて刑法の目的は、犯人を正しく特定し・適切に処罰する事により犯罪抑止力が社会に醸成されて、社会の犯罪の発生が抑えられる事、公共の福祉が維持される事であろう。そうでありたい。誤判断、冤罪などは真犯人を逃がすので犯罪促進的、反社会的、刑法の存在理由を壊すであろう。

被疑者人権の究極の侵害は冤罪である。かつ冤罪は真犯人を逃がすので刑法の存在理由を覆す。この緊張関係において「公共の福祉」と「被疑者の人権」のどちらに重きを置くべきか、この2つを対立的な問題として捉えて、どちらに重きを置くか、そこで学説は分かれるのであろう。

刑事訴訟法の原則
この二つを念頭に、前段の運用上の指針の下で後段では、「事案の真相を明らかにし」「刑罰権を『適正』・『迅速』に適用実現する」としている。真実をどう顕かにできるのか、適正、迅速を求めて関係者、被疑者の人権をどこまで侵害せざるを得ないか、この二つのバランスは、下記の 銑い遼,慮饗Г砲いて求められねばならないというのである。

刑事訴訟法の原則:〜楮哉耄磴慮饗Л強制処分法定主義(憲法31条、刑事訴訟法197条1項但書)N畩主義(憲法33条、35条、刑事訴訟法199条、218条等)な証中心主義(憲法38条)である。

しかしこの事件で明らかになった事は、い慮饗Г料楮困涼羶瓦任△襪戮物証だが、それがこの事件では皆無、詐欺師の自供だけである。また〜楮哉耄磴慮饗Г世、現職市長を2カ月の拘留するに足る、犯罪容疑とは30万円の収賄容疑、その背後にあるべき膨大な収賄があるべくもない藤井市長の28歳の政治歴である。

詐欺師の自供だけを証拠に、現職市長をマスコミ総動員体制で逮捕し、この逮捕状は、警察が裁判所に証拠を揃えて逮捕状を請求し、 裁判所が信じえる証拠と判断した場合に出されるので、この事件で裁判所は詐欺師自供だけで証拠となしたのである。

「裁判所が、しばしば”令状発行機”と揶揄されるのも、こういう対応が頻繁になされているからだ。」とジャーナリスト(江川詔子氏)は指摘する。検察請求に対し裁判所はそのまま通す事が常態、人質司法は検察・裁判所の癒着で完成している。

現職市長を長期拘留(6/24〜8/25)する裁判所の指摘する理由は「逃亡、罪証隠滅のおそれ」「被告人と関係者が口裏合わせをする」だが、保釈請求を拒んだのは裁判官の権限だが、事件の証拠の範囲を裁定する権限も裁判官の権限という日本の制度である。

証拠隠滅、口裏合わせなどは、具体的な証拠事実に照らして判断する必要があろうが、証拠の扱いも裁判所主導で決まるので、人質司法を維持している検察、裁判所が一体になって有罪、冤罪までをひた走る事ができるのではないか。刑訴法の原則は絵に描いた餅になっている。

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/daiyou_kangoku_leaflet.pdf
(2005年国連総会の下部機関として、加盟国の人権状況について普遍的・定期的審査(UPR)勧告を行う人権理事会が設立され、日本政府は1999年(平成11年)に批准した拷問等禁止条約に基づいて報告書を提出。2008年10月には委員会の審査ならびに総括所見が発表された。その中で日本の特殊な刑事司法取り調べ慣行について批判と驚きが表明され、仝渓な被疑者への取調べの時間の制限やこれに従わない場合の制裁措置を規定する法律 ⊆萃瓦戮料寛當の録画機器の組織的な利用 取調べ中の弁護人の立ち会いの権利化、という具体的な措置の採用が要求されたと言う。(尚会議の模様は、国連人権高等弁務官事務所のHP 上で中継され、ビデオはウェブ上で閲覧できますと言う。)

8訴する検察組織の事情を妄想する。

冤罪は司法による重大な国家犯罪である。今回は、被告側の弁護士が元特捜であり、マスコミの検察情報拡散に先手を打ちながら、詐欺師自供の矛盾点、有罪誘導を行う検察の動きに先手を打ち、あるいは即座に対応して公判を進める事ができたので、人質司法で起訴を決定した検察に対して、裁判官は99.9%の有罪率の中での0.1%の無罪判決を出し得た。しかしこの緻密な判決に対して、検事総長決済であろうが、この矛盾に満ちた詐欺師自供を丸のみ、検察を支持して控訴に及んだ。

公訴理由は「メールの開明が不十分」だと言う。証拠が無いにもかかわらず、収賄があったという前提なので、その時期のメールのやり取りを証拠扱いにする他ない事を物語るもので、検察が公然と矛盾だらけの詐欺師の自供を、組織的に支持、丸のみしている事を認めている。

言葉の彩でどちらにもとれる言葉づかい、メールのやり取りを証拠として扱う検察官の弁論が、英米型の刑事訴用法下で行われている。原則などなんのその、被疑者の生殺与奪を握りつつ行う取り調べ、圧倒的に有利な立場、高みから、国民を被疑者とする事ができるので、その、家族、関係者への悪影響をちらつかせながら行う取り調べ、それが常態、公開の法廷が恫喝のための手段となっている。

これでは全国の自治体の長は、積極的な地方行政に邁進するに怖さが漂う。詐欺師にとっては「有名な政治家に贈賄しました」と言えば大丈夫か、罪も免れそうだと、詐欺師勇気づく事態ともなろう。

検察が詐欺師犯罪の証拠を理屈をつけて採用せずに放置する事は、結果として詐欺を最大に幇助して、詐欺師、「やり得」である。司法機関ぐるみ、検察、裁判所双方が協力して詐欺と言う犯罪行為を取り逃がす計画をし、それを実行して、その行為を激励、励ましているようだ。これでは刑法自体の存在理由、犯罪抑止の社会的任務、安寧秩序を自ら溶解せしめている日本の刑事法廷である。

しかし検察も人間組織であり、この経験は、検察組織に様々なトラウマを生じせしめて、無意識の硬い防衛機制をも引き起こすのではないか。事実関係の解釈、法的推論に過剰な逸脱、非常識の合理化、マスコミ操作、情報開示拒否などと、極端に走る下地となり、おおきなリスクを背負っている可能性はある。国民にとっては危険である。

今回、刑事司法システムは、検察情報をそのまま報道するマスメディアを使って、市民の意識を操作、美濃賀茂市長を犯罪者に落とそうと動いた。警察と緊密連携している事は、公訴翌日に警察が公訴の書類内容をもって美濃賀茂市職員に脅しめいた電話をして、市長の孤立化を狙っている事からも伺える。

しかし、このような冤罪を検察、警察ぐるみで進めている事は、検察側で仕事をした弁護士の目が無いと暴く事はできなかったであろう。検察官の捜査過程を裁判所が支援、検察判断に追随する裁判所(機関)となっている。この手法で小沢一郎、元福島県知事佐藤栄佐久、植草一秀、鈴木宗雄、三井環等々は、社会的地位を外されていったわけである。

検察は、自縄自縛状態である。冤罪の悪行が世間に知れ渡るが故になおさら、無意識的、意識的な防衛機制を働かしめて、自分達の組織の権威付けのために動く。これが日本の高級司法官僚、最も赤裸々に国民の権利を奪う事ができる検察、司法当局の姿であった。

せ宛∧立を犯し、三権を支配する司法マフィア
市民に選挙で選ばれた市長を、詐欺師自供だけを理由にして、わずか30万円の収賄容疑を着せて、逮捕した司法権力は、行政権を覆す事も出来る存在として君臨している。実際に小沢、鳩山政権は覆されている。

もしも小沢一郎があのまま要職にあったならば、福島原発の対策はレベルがちがったであろう。宗主国アメリカが首相官邸に乗り込んで指示する中であっても、菅直人らとは違う官僚の使い方があるだろうから、4年を経ても、世界の海(太平洋)に汚染水を垂れ流し、福島の人々、子供の甲状腺癌、今後の手当には見通しがたたない今現在とは違ったと思われる。あの時点で、廃炉決定をし、国家的規模の対策を打つ事ができたならばと無念である。

植草教授があのままアメリカ市場原理主義による、日本の富の収奪計画を暴き続け、広く国民に拡散出来ていれば、今のTPPの議論も、日本的雇用慣行、年功序列や終身雇用への規制緩和の動向も異なっていたであろう。国内の第一次産業(農業、漁業等)、医療システムを外国資本の草張り場として投げ出す、世界中の市民の生活を市場の論理に巻き込むアメリカ市場原理主義者要求を、進んで受け入れる安部政権とは、異なる道が模索されたに違いない。

三井環氏が告発予定だった裁判所の裏金が事実と認定されていたら、今回の様な司法マフィア的な、有望な市長抹殺策動の前に、司法機構の組織的出直しが求められていたかもしれない。民主党経験は小沢の下で生きながらえ、新しい日本へとうごいていたのかもしれない。

このような日本の司法権は、国民の頭上に、選挙の決定も「何のその」と君臨しているのであった。現役の若い市長も弁護士いかんでは首を挿げ替えられたであろう。時の首相、政権(鳩山、小沢)の首を挿げ替える事ができた司法権であり、この事は彼ら司法官僚が行政権を凌駕している事を示す何よりの実例である。加えて違憲立法審査権を持つので行政権(国会)をも凌駕する。

ここに事実上、日本には三権分立は消滅し、事実上司法の独裁が可能な権力システムになっている事が分かる。この司法権力が、戦後のアメリカの進駐軍の方針変更の下で、旧特高警察関連のマンパワーをつかって復活したのだが、従ってその元締めは、アメリカサイドにあり、民主国家幻想、発達史観幻想を使って、マスコミ総動員の国民洗脳、左派はガス抜きの為の補完物として取り込まれてきたのではないだろうか。戦後の松川事件などの冤罪事件、疑獄事件、田中角栄、小沢一郎などと、裁判所と捜査当局の二人三脚の冤罪舞台をマスコミが演出、戦後の日本の方向を決めていったのではないか。

今、検察司法官僚、司法裁判所組織が、社会の安寧秩序の維持という、自らの存在目的、根拠自体を、自組織の利益、体面のために覆すと言う逆説が次第に国民の前に明らかになっている。アメリカ経済の窮迫、世界の経済情勢の変化の中で、日本をより活用、収奪せんとするアメリカ市場原理主義の下で、司法機関(裁判所・検察)司法高級官僚組織は、今なお戦勝国アメリカによる日本国民支配を隠蔽、継続するために動く、亡国の司法マフィアとも見える。

| 日本の冤罪 | 10:15 | comments(0) | - |









 
+ 相談室


相談は、対面で行う会話です。色々な思いを抱えて相手の顔、姿に接して、自分の言葉、感情の動き、動悸などから、自分で自分を再発見する場です。
どのような自分でも自分は自分。それぞれの自分を大切に生きる手立てを見つけましょう。
+ お問い合わせはこちら
TEL/FAX:
03−3492−0735
+ みらい21かなる

かなる(canal)は「運河」と言う意味です。以前の目黒川に面した6階の事務所から眺めると、目黒川がちょうど足下を流れているように見えて、まるで運河の上にいるようでした。それでベニスのグランカナールのイメージと重ねて、私達の事務所がいろいろな情報や物資を運び込むよう、21世紀の運河になるようにと名付けたものです。