みらい21かなる - 社会福祉士 山眞弓

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美濃加茂市長への控訴の論点(10)
法システムと言う考え方(10
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私達は法とは、憲法、民法、刑法などと、守るべき事柄を書いてある、成文法をイメージしている。法を守る、法に沿って行われている政治、違法行為などと。法律とは守らなければならない事柄、規範であり、違反すると罰がやってくる。
 
しかし法社会学では、法が社会の中で働く様子、社会と法の相互関係を、\文法(法律)ばかりでなく、∨,鮗匆颪涼罎納更圓垢訌反ァ丙枷十蝓∨〔馨福検察庁、警察など)K,魏鮗瓠運用する人間の頭脳(法曹職、マンパワー)という、三者の相互作用、法が社会の中で働いている様子を、法システムという循環系として、社会と法の相互関係を考える。
 
この三者のシステム、その流れを「法システム」として、下記のように図解するという。 
       法システム
法規範
ここでは成文法
   憲法・刑法・民法
    その関係法令
法機関
(立法府国会・裁判所・法務省
検察・警察・など、制度的しくみ
& マンパワー・法曹職)
 
法が社会の中で、国民に対してどのような機能を働らかせているか、その全体像であろう。ここでの法は、成文法をさしており、「生ける法」と言われる社会内の慣習、習俗、道徳などは含まない。そして「生ける法」は成文法の外側を囲んでいる。
 
そしてここが重要だろうと思うが、「法システム」は実際に動いて社会に働きかける、その事を法の機能と考えがちだが、正確には二とおりに分けて考える必要があるという。
 
「一つは法システムが達成するべきものと考えられる効果・目的であり、もう一つは、ある国の法システムが実際にある仕方で作動したり作動しなかったりする事によって、実際に達成されている(あるいは達成すべきなのに、達成されていない)効果・目的である。』という。
 
「これらの二つは、いわば建前と本音に相当する。前者は、制度的・規範的な機能であり、後者は経験的・事実的な機能である。この二つが一致する事が理想であることは言うまでもないが、実際にはなかなかそうはいかない。[1]
 
こう言う考え方で行くと、戦後の刑事訴訟法改革、英米型の刑事訴訟法を受け入れながら、今回の美濃賀茂市長への控訴、そして冤罪の数々、世界にも珍しい国際用語として通用する代用監獄制度が継続されて当然となり、「証拠隠滅」「口裏を合わせる」「逃走又は再犯」を理由とする「人質司法」の生成と発展、そして背景要因が、司法システム全体の動きとして、「時間軸を追って」顕かにされ得るのではないだろうか。
 
戦後の松川、下山事件、多くの冤罪事件、田中角栄、小沢一郎への特捜捜査で失脚させ、経済学者植草教授、元大阪高等検察庁公安部長の三井環、鈴木宗男など記憶に新しい事件の顛末、法を道具として使いこなし、法システムを動かして行う、国政への干渉についても、法システムがどう作動し、あるは作動しなかったのかを考察する事によって、その動きの有り様は炙り出せると思われる。
 
戦後の日本の司法システムを動かし、法を道具として、法の解釈、社会への働き掛けの方向性をつくり上げる者達、そしてそれを全面的に受け入れ、正しい事として国民に拡散するマスコミ、その中で、日本の社会は、成文法とは異なる実態、証拠無き自白強要、その為に機能する人質司法が、習慣化してきているのではないだろうか。
 
そしてそれらの傾向は、どのような法思考の積み重ね、∨ゝ々修諒儔宗↓K〜眇Δ亮繊△諒9腑轡好謄爐箸靴得言、発展を遂げて来たかを考察する必要があると思われる。ここまで偏った司法を頂く国民は、この偏った動きを続ける日本の司法システムを回すエネルギーの源泉と構造、そのありようについて、いわば司法マフィアと言うべき現状の生成と発展を、「時間軸を追って」考えまわし、日本の刑事司法と国民の関係は、正常化されなければ沢山の不幸を産み続けるので、これを改めなければならず、その道筋を考えなければならない。
 
近代国家
 
主権国家を定式化したのは、ルネッサンス以降、ボダン(1530-1596)だが、宗教戦争(ユグノー戦争)後の混乱期であった。道徳や慣習とは無関係に新規の法を任意に人為的に定立する国家、優越的な法の源泉としての国家が、1579年「国家論」において登場したと言う。時は16世紀、絶対王政へ向かうフランスである。
 
そこでキリスト教社会、西欧社会に定立された近代国家、平場(ひらば)での対人関係、商取引などの習俗習慣、慣習法とは無関係に、近代国家の法、人為的に定立する法の源泉たる国家が定立された。そこでは国家と国民との関係を律する憲法が制定されざるを得なかった。立憲主義である。現下国会の安保法制を巡る、違憲論争との関連を含めて、論を進める必要もあろう。
 
人間の社会は、その人の行為の「正しさ」をめぐる評価の公的な基準として作用する社会規範を持っており、その「正しさ」が確かにその行為の社会における有効性、通用性・貫徹力に決定的な影響を及ぼすのであろう。「法は、まさにこの行為の正当性吟味という要求に答える制度的しくみであり、それに根ざして発展してきたもの」と指摘されている。
 
その中で刑法は国家が列記して罰すべき行為、犯罪を特定している。国家と国民の間の関係を直接的に実行するところの刑の執行を行うので、その被疑者への捜査は、国民の自由権を奪って進めざるを得ないために、刑の執行上の原則、刑法の解釈・運用の指針が刑事訴用法として明示されている。
 
マンパワー、法曹職の質
日本では戦後、民主国家へと、民主憲法を掲げ、大陸法由来の刑法を英米法に変更して、行政権の優位に対して、司法に違憲立法審査権が入っている。しかし刑事訴訟法は変わっても、戦前の治安維持法を運用したマンパワーが、戦犯への刑の執行を停止されて活用された。東西冷戦構造が始まり、日本を反ソの砦にする為の、連合国側の地誌学的な要請であった。
 
この経過で生き残った、日本の刑事司法マンパワー、治安維持法を仕切った文化が「人質司法」と言われる司法刑事システムとして生成発展を遂げている。法システムの全体を動かす法思考を行う人々、この人々は自律的であり得たのか、戦勝国の意のまま、それを習慣化させたのか、彼達も日本的義理と人情の文化において、アメリカサイドの明示されない期待をも忖度しているのであろうか。
 
法システムを動かすマンパワー、法を道具として使いこなせる法曹職の動向が法システムをいかようにも曲げる事ができる。日本の刑事司法システムはその見本のように展開している。法曹職が専門家として行う法思考とは近代的思考様式の一形態であり、レヴィ=ストロースが指摘するように、ある限局された局面において可能ならしめる恣意的な論理かもしれない。それ故に向けと言われれば、いかなる方向へも向いてみせ、その論理的正当性を専門家として構成する事ができるのであろうか。
 
法思考のある形態を、法的技術となして、法システムを動かしているのが、日本の司法官僚である。法曹職の養成、司法官僚のリクルートの在り方が、法をある方向に恣意的に歪め得ると言う現実も、構造上ありえる。
 
法曹職の法思考、法の活用による国権(三権)の掌握、そして民主国家の装いの下に、戦勝国アメリカ市場原理主義の意を汲み、動き続けている集団が生成され、今に至っているのであろうか。それが「日本の裏側」というべき集団、「司法マフィア」というべき、冤罪、首相の首の挿げ替えを、必要に応じて行う事ができる集団であろう。美濃賀茂市長の事件では、その事実を彼達が、隠蔽できなくなっている日本の司法の現状を、露わにしている。
[1] 六本佳平 『日本の法システム』P10 (財)放送大学教育振興会 20012
| 日本の冤罪 | 10:38 | comments(0) | - |









 
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かなる(canal)は「運河」と言う意味です。以前の目黒川に面した6階の事務所から眺めると、目黒川がちょうど足下を流れているように見えて、まるで運河の上にいるようでした。それでベニスのグランカナールのイメージと重ねて、私達の事務所がいろいろな情報や物資を運び込むよう、21世紀の運河になるようにと名付けたものです。